オブジェクト・サブジェクト
そのゲームが面白いかどうかは主観的に判断しているのか?
答えがYESであれば、話題が終了してしまうので、ここはNOと言っておきたい。
(完全な主観が無いように、完全な客観も無いと信じているが)
主観的でないのであれば、ゲームが面白いかどうかは客観的に判断している、あるいは客観的に判断している部分があると言える。
主観的:
主観に基づくさま。また、自分だけの見方にとらわれているさま。
客観的:
個々の主観の恣意(しい)を離れて、普遍妥当性をもっているさま。
客観的に判断しているのであれば、他者への説明可能な形式を内包していると言える。
客観は主観を離れた普遍であり、普遍は一般であり、一般は衆知の事実であり、事実は主観を離れて理解することが可能だからだ。
他者への説明可能な形式とは「パターン」である。
(あるいは「イメージ」)
そのゲームが面白いかどうかは、パターンを見いだす、構築することで判断できる。
ここには不備がある。
発見されたパターンが「実際に面白さ」を生み出しているかどうかの根拠が無い。
根拠はどこから発生するか?
根拠は事実であり、事実は衆知であり、衆知は一般であり、それは普遍となる。
まどろこしい言い方を排除すれば、根拠は事実、「実際に売れているゲーム」を参考にすれば良い。
つまり、「売れているゲームは面白いパターンを内包している」のだ。
言い直せば、
「そのゲームが面白いかどうかは、多くの購買層(ユーザー)を獲得しているゲームの中に内包されているパターンを発見できるかどうかで判断する」
となる。
結論として、
「そのゲームが面白いかどうかを判断するためには、売れているゲームを購入し、研究し、しゃぶりつくしなさい」
という当たり前の結果に落ち着くのであった。
そして更に、
「売れているゲームが面白さを内包しているとは限らない」
という反論が生まれるのだが…。