小説:砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない―A Lollypop or A Bullet

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない―A Lollypop or A Bullet


EVEが思いの外面白かったので、こちらも読んでみた。
次は「私の男」を読もうかしら?
いやいや、まだまだこれから、もっと昔の作品から進んでいこう、と思う。


この本「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」は、歪な女の子同士の友情を描いたものかね?
それとも、なんとなくダークな雰囲気に包まれた青春群像劇なのかな。


そのどちらも違ってて、思うに、この本は「男」について描かれた小説なのではないかなー、と。
それって「私の男」をいずれ発表するってことを知っているからなのだけれど、とはいえやはり常々思うところがありまして。


男性作家が美少女とか美女とか美人という言葉にあこがれるように、矢張り女性も美少年とか美男子とかにあこがれていると思うのよね。
どーでもいいけど、美人って言葉は男にも当てはまるのかな?字面だけ見ていると、どうもそのような気配が致します。


で、あこがれるっことは、それだけ相手を見ている、観察しているからだと思うのさ。
相手を観察して、感想を漏らすわけだね。
「ああ、美しい、こいつはまるで美しい」


つまり、男性は女性を観察し、女性は男性を観察しているのではないでしょうか、常日頃。
ちょっと大雑把な意見ではありますが、この仮定が正しければ、女性作家は概ね男性について描くことが多いのじゃないか?
さらに、男性を描くのが上手いのじゃないか?


砂糖菓子…は女の子たちが主人公だけれども、案外内面のでろでろ〜とした部分は包み込まれているような気がします。
始終隠微しているか、フルオープン状態で、創造の余地があまりないのです。


反面、同級生・兄・父親の三人たちは、良い感じにゆがんだ景色を見せてくれて、なおかつ匂いのみにとどまっていて、
「あ、味はどうなんだ!?匂いは十分、満ち足りた!味を教えてくれぇ!」
というこちら側のゆがんだ妄想をひきだしてくれているよーな、そうでもないよーな。


なんにせよ。
この本も面白かったので、次の本も読まなければなるまい。
なるまいぃ。


この本の前に『ぼくのキャノン』という小説を読みましたが、
途中で飽きてしまいました。
なんというか…「まるで、キャノンがこう言っているように見えた…」っていう表現が多すぎて。
キャノン様を振り仰ぐだけでいいじゃないか。
なんで、キャノン様の心情を描写するのだ?
物語の魅力は欠落にこそあるのになー。