ゲームを批評する、ということについて
■追記
ん、こういうことかな。
・レビューという表現自体が日本においては「感想」と「評論」が混在している
・ファミ通のレビューも当然「レビュー」であるため、両者が混在している
・ファミ通のレビューはどちらかというと「感想」寄りである
・読者が「感想」を求めた場合は思惑が合致するが、
読者が「評論」を求めた場合は合致しない(嫌悪)
↓
問題として、ファミ通がレビューに「感想」と「評論」のどちらの属性を
当てはめるべきか定めていない点にある(日本的レビューであるため)
また、レビュアー自身も、自分のスタイルがどちらかに属しているのかを明示していないため、
いっそうの混乱を招くほか、信憑性が低下している
↓
レビュアーは自身のスタンスを明示するとともに、
「感想」と「評論」が持つフォーマットに従う必要がある(侵犯してはならない)
↓
レビュアーはレビューを生業とする以上、自身のスタンスとフォーマットについて
研磨する必要…はないが、したほうが格好良い。
↓
ファミ通のレビューは格好悪い。
↓
海外のレビューはちょっと格好良いかもー。
■ファミ通のレビューは何を意味しているのか
ファミ通のレビュー欄を見ていて考えることがあったりします。
4人のレビュアーがそれぞれ10点満点中の何点である、というようなことを
短文とともに紹介しています。
たとえば「○○ファンタジー」というゲームが発売されるとして、
レビュアーはまず「10点」と記載し、
「まさしく大作。序盤から終盤にかけて、緊張感が保たれている。
とりわけ、終盤からラスボスへの流れは、シリーズ屈指と言えるのではないだろうか。
少なくとも僕は泣きました(笑)間違いなく買って損はしません」
みたいな内容が書いてあるのかも?(適当ですが)
これって何なのでしょう?
まず、10点というのは「何を基準として」10点なのでしょうか?
ストーリー?
システム?
ユーザビリティ?
イノベーション?
上記のようなコメントは、ストーリーについての記述であるように読めます。
しかし、「終盤からラスボスまでの流れ」という記述は、
プレイヤーの意識を阻害しない、と言う点から考えると、システムの優秀さ、
ユーザビリティが優れていることを記述しているようにも思えます。
ファミ通のレビューが曖昧である印象を与えるのは、
根拠の希薄さから発生するものだと考えられますが、
同時に読者が「レビュー」と「評論」について混同しているからではないでしょうか。
あ。あ。
うまく書けないなー。
もうちっと考察です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B8%E8%A9%95
これと同じ問題があると思う。